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2017年2月

2017/02/03

富士子の命日 ~もう10年です~

 今日は節分です。
 富士子が亡くなった日は節分だったんだなーと後で気づいたのでした。
 もう10年経ってしまいました。10年のあいだにラブもいなくなってしまいました。
 まだまだいろーんなこと、受容できずにいるのだけれど…

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昨日の夕暮れの富士山


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今朝の富士山


 富士子といえばやっぱり富士山を思ってしまいます^^
 あの日も富士山、奇麗だった。

 トシをとるたび記憶力とか確実に鈍くなっているのに、いつまでも忘れられずに思い出すことってあるんだね。
それが嬉しくもありさみしくもあり。


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外暮らしのころの富士子。なかなか勝気な猫さんだった。


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わが家に来てからはラブに見張られてたね。
(とっても懐かしいショット…)

 毛が抜けるほどラブにやっつけられてケージ暮らしになっても
愚痴ひとつこぼさず不平不満を言わずの富士子だったね。



 富士子は10年くらい?いやもっとかな、外で暮らしていた猫です。わたしが富士子に出会ったのは2000年の冬でした。娘や孫たちととある民家の庭先に住まわせてもらっていました。一日2回、ゴハンを運んでくれるおばさんがいて、いつしか『富士子のおばさん』と呼ばせてもらうようになりました。春先になると体調を崩し鼻水とよだれと目ヤニとで顔がぐしゃぐしゃになる富士子。知人Uさんの協力で病院で治療したりもしたのですが、少しするとまた悪くなってしまうのでした。けれどもUさん宅で過ごす数日間、富士子は小さなケージの中で暴れもせずおとなしくしているというのです。何度かそんなことを繰り返すうち、わたしは富士子を迎えたいと思うようになっていました。わが家にマーチとラブがやって来て1年くらいしてからのことです。ある日、わたしは富士子のおばさんに、富士子を家に連れて行きたいのだけれどおばさんはどう思う、って聞いてみました。おばさんは驚きながらもよかったな富士、よかったな富士、と何べんも言いながら泣いていました。そうして富士子は2004年7月にわが家にやって来たのです。

 その年の11月、おばさんは電車とバスを乗り継いで富士子に会いに来てくれました。大きなケージ暮らしを始めていた富士子。普段はケージの扉を開けると真っ先に出てきていたのに。おばさんがケージの前に立ち寝ている富士子に話しかけると、懐かしそうにおばさんを見上げて、けれども決してケージから出ようとはしませんでした。おばさんはちょっと寂し気で残念そうでしたがでも富士子が外暮らしを卒業したことを喜び何度も何度も、富士元気でな、と言いながら帰っていきました。

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 おばさんは富士子がいなくなっても富士子のエリアにゴハンを運んでいました。足腰が弱り自転車にも乗れなくなって、5分で来れた道を30分かかって歩いて来ていました。時々電話で富士子のこと、エリアの猫たちのこと、おばさんの体調のことなど話をしました。富士子が亡くなった時も電話口の向こうでたくさんたくさん泣いていました。そうして、おばさんに会える機会も減り電話をかけてもつながらないことが続き…。
 富士子のおばさんは数年前に亡くなったと聞いています。詳細を知らされていないのでお線香をあげることもできていません。心残りはありますが、おばさんを思い出すことは多いです。けっして忘れることのできない人です。
 虹の橋というのがあるのなら、おばさんのこと富士子は待っていたのではないでしょうか。きっときっとそうであってほしいと思います。 




 富士子。
 わが家で2年半、マーチとは空気のように、ラブには目をつけられながら、それでもきっと楽しかったと富士子は言ってくれるだろうか。あんなに高い数値なのに、最後の最後まで慢性腎不全と闘いながら、美しい瞳を見せて。


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